「負けを知る」

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sasaki  ●会社員(46)

誰だって人情として自らの負けを認めるのはつらいものがあると思う。
身のまわりの会社の社長さんたちを見てそう思う。
社長は社長だから偉いわけではない。
社長としての役割を果たせて初めて社長なのである。
でも世の中、そんな簡単な道理すら分かっていない社長のいかに多いことか。
彼らのほとんどは自らの改革を最初から拒絶している。
そんなことだから21世紀の今の時代にも昭和30年代の古びて硬直化した発想しか浮かんでこないのである。
負けを認め後進に道を譲る、そんな決断が出来る社長こそが本当の社長なのではないのだろうか。
時代遅れの旧人の発想などなんの役にも立たないことに気付いてはいてもそれを自ら認めようとしないのである。
そんな老いた社長の次に取る行動は組織の締め付けである。
自らの影響力を維持しようと締め付けに走るのである。
締め付ければ締め付けるほど人の心は遠ざかって行く。
そんな道理すら彼にはわからなくなっているのである。
こんな症状が出て来たら要注意である。
まさに深刻な悲劇とも言える老害の始まりである。
ただし老害の恐いのは自覚症状がないことである。
(ここで言う老害の老とは別に自然年齢を言っている訳ではないことは注記しておく。)
老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
この言葉に含まれる心意気を理解してもらえるだろうか。
こんな見栄を切れる社長さんがどれほどいるのか興味のあるところである。