石井裕也選手

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はな  主婦 (24).

ドラフトで6巡目に中日ドラゴンズに指名された石井裕也選手は左耳がまったく聞えず、右もわずかな音しか聞き分けられないらしい。
小さい頃、ご両親は言葉を失わないようにと一生懸命、訓練し、口の動きを見て人の言葉を理解できるようにさせた。
彼が少年野球をするようになって、ピッチャーとしてマウンドに立てるようになる。
将来、プロ野球の選手になりたいって言うようになる。
彼のことをご両親は複雑な思いをもって、見守ってきたそうだ。
高校では名門横浜実業で野球をし甲子園にもでたそうだ。
だけど、プロにはなれなかった。
五体不満足の著者乙武さんは、障害はその人の個性にすぎませんといった。
だけど、彼にとって耳が聞こえないと言うハンデは彼の夢にとって、人生にとって、大きな障害だった。
それでも彼は失望せずに三菱重工に入社して、1から、身体をつくりなおし再び努力を重ねて、そこで社会人野球に参加するようになる。
3日の練習以外は、会社員として朝から晩まで働く。
夢は夢でおわったけどご両親はそれを喜んでおられた。
それが、今年中日ドラゴンズから6巡目にて、指名がかかった。
彼の意志は固くて、入団の意思表示をしている。
ご両親はプロ野球は一生できる仕事でもなければ、入団したとしても、一軍の選手になれるかどうかも解らない。
できることなら、三菱で働きながら野球も出来るという選択をしてほしかった。
平穏な人生を捨てて、つかむには危険がたくさんありすぎると心配しておられる。
だけど、息子は夢に向かって歩き出していった。
夢はいつも叶うとは限らない。
それどころか、一番目の夢も2番目の夢も3番目の夢も叶うことがないのが人生だと思う。
4番目の夢が叶えば、それはまだいい方で、実際には10番目や20番目の夢をやっと叶えて、それでも満足して生きていくのが人間の人生というものやって思う。
彼は障害を抱えた上で、1番目の夢のしっぽをつかんだ。
ところが、1番目の夢を叶えたことが、必ずしも幸せだとは限らない。
その夢に飛び込んだがために絶望することだってあると思う。夢は夢だから美しいということもあると思う。
叶えたことと、報われることはイコールではないかもしれない。
だけど・・・。それを手にした彼と、彼と一緒に彼の人生を祈り続けたご両親を見ていると、本当に心を打たれるものを感じました。
生きているってすばらしいなって思いました。
自分のことを信じ続けた彼と、彼のことを信じ続けたご両親に拍手です。
私も自分のことも、親のことも、そして、子供のことも、自分の周りの全て事を信じて祈れる女性でありたいって思う。