休憩室

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山田派  

私の大学1・2年間は学園紛争の中で過ぎて行った。
講義はまともに開かれないことがしばしばだった。
そんな時、私はよく教養部の英語の教授室を訪ねた。

今から考えてみても何故懇意にさせてもらったのかはっきりとはしないが、なかなか話があった。
先生は意気盛んなところがあって、ヘルメット学生とよくやりあっておられた。

だから全学ストライキとか言って、大学への入口が全てヘルメット学生によって封鎖された時も、私はその制止を振り切っては、先生の部屋へ向かった。

そして先生の部屋で大いに議論を交わさせてもらったものである。

そうこうしている内に、先生の方から、先生の部屋を私の休憩室代わりに使ってもよいとのお許しが出た。
それからというもの、講義の合い間は先生の部屋で一人過ごすことが多くなっていった。

コーヒーも用意してあるし、タバコだって用意してあるし、まあ、一学生としては結構な待遇であった。

それから3年して先生は退官されたが、今度は金融機関に就職した私の最初のお客さんになってくださった。
まだお元気でと願うのみである。