<原風景・昭和>
世は平成時代、21世紀に足を踏み入れています。

そっと昭和を振り返る、そんな時間を持たれる人も多いはずです。私も、その中の一人であることに違いありません。

原風景

駆け抜けてきた自分の背中には、原風景である「昭和」があります。

私の軸足は今でも、間違いなく「昭和」をしっかり捕らえMIRAY(みらい)を見据えています。

一言で昭和を語るには無理がありましょう。

胸を弾ませてテレビの前に釘付けになった思い出の東京オリンピック、その先に見えていたのは躍動する日本の国でした。

映画「鞍馬天狗」 嵐勘寿郎 ラジオ体操 カフェ 「放浪記」 林7美子 浅間山噴火 「蟹工船」小林多喜二 漫画「のらくろ」 「影を慕いて」 五・一五事件 二・二六事

昭和

件 東京音頭 エノケン 忠犬ハチ公 蒸気機関車D51 千人針、国民服、モンペ 「路傍の石」山本有三 「愛染かつら」 横綱双葉山69連勝 沢村栄治 「誰か故郷を想わざる」 国民学校 真珠湾攻撃 昭和新山 広島・長崎の被爆 終戦 黄金バット 「リンゴの唄」 サザエさん 日本国憲法制定 鉄腕アトム 「君の名は」 真知子巻き 「二十四の瞳」 テレビ本放送 「七人の侍」 力道山 ゴジラ 太陽族 一万円札発行 東京タワー完成 タロ・ジロ南極越冬 皇太子殿下婚礼 伊勢湾台風 「上を向いて歩こう」 

MIRAY(みらい)

「こんにちは赤ちゃん」 東海道新幹線 東京五輪 ひょっこりひょうたん島 新三種の神器(車・クーラー・カラーテレビ) ウルトラマン GSブーム 「男はつらいよ」 沖縄復興 ベルサイユのバラ ON時代 「襟裳岬」 「宇宙戦艦ヤマト」 学生運動 バンカラ 受験戦争 初恋 クラブ活動 学園紛争 青春時代 「結婚しようよ」 「いちご白書をもう一度」 「学生街の喫茶店」「戦争を知らない子供たち」 ダンパ・合ハイ もう少しさかのぼれば 焼け跡 ヤミ市 戦争 シルビーバルタン
昭和を語る上でのキーワードは止めどなく溢れ出てきます。

ひとりひとりが、「昭和」の思いを胸に21世紀という時代に再び歩を進めようとしています。

そんな一人一人の思いを寄せ合って、いつの時代にか置き忘れた「心・こころ」をこの「MIRAY(みらい)」の中に見出せればと考えています。

この場所を多くの方に訪れていただき、大きな「こころ」のひろがりふが出来ればと念じています。


思い出される川崎劇場

山根  ●会社員

そう言われた野球場がその昔あった。
パリーグのロッテの本拠地として使われたのが最後で、ロッテが千葉県幕張に本拠地を移してからは、他の競技場として使用されているとのことである。
この野球場は、プロ野球好プレー、珍プレーにはかならずと言っていいほど登場する球場でもあった。
私自身は確かに一度も行ったことすらないのであるが、とにかくテレビ画面からもその雰囲気が分かるのだ。
先ず狭い球場であること、お世辞にも綺麗な球場とは言えそうにもないこと、あのような球場で試合をせざるを得ない選手たちは不幸としか言いようがないのだ。

旧広島市民球場も狭く汚い球場だった。
学生時代、その市民球場で私は切符切りと場内案内のアルバイトをしていた。
4時に集合して点呼を受けた後は、三塁側ベンチで守備練習を見学させてもらっていた。
その当時は、ノッカーは広岡コーチ、ノックを受けるのは山本浩二選手、衣笠幸男選手と言うところだった。
私の記憶では、とにかく巨人戦だけは8時くらいまで声をからして場内案内に汗を流したものである。
その旧市民球場は広島市の中心部に位置し、広島オフィス街および飲み屋街に隣接していたのだから、仕事を終わって駆けつける人たち、カープの優勢を知って
飲みを切り上げて駆けつけて来る人と人種は様ざまだった。
川崎球場

ちょっと脱線してしまったが、川崎球場がよく好プレー珍プレーの舞台になったのにはそれなりの理由がある。
ガラガラに空いた外野席で、若い二人が自分達の世界に入り込んでいるシーンが映し出されたり、将棋を打っているシーンがあったりと、観客もやりたい放題なので
あった。
ただ、そんな川崎球場がもっとも観客を集め、全国のプロ野球ファンの注目を集めた日があった。
いま調べて確認したところでは、昭和63年10月19日(通称10・19)ロッテ対バッファローズのダブルヘッダーの時である。
そのダブルヘッダーで近鉄が2連勝すれば、その段階でパリーグの優勝が決まると言うものだった。
第1戦目は近鉄が勝利し、あと1勝となるところで最大限の盛り上がりをみたのだった。
確かニュースステーションの時間帯になったところで、そのニュースステーションの時間枠の中で野球中継を全国に向け流し続けたのだった。
ロッテ対バッファローズのダブルヘッダー
そんなことを知らない私は帰宅途中自動車のラジオの実況放送に釘付けになり、自宅近くの駐車場に車を駐車させた後からもそのラジオの放送に噛り付いて
いたのだった。
試合の結果は、ダブルヘッダーの場合の試合時間制限のために第2試合の延長戦が10回までとなり、近鉄はその日、1勝1分けとなりリーグ優勝を逃したのだった。
近鉄の勝利がなくなった第2試合10回の裏、最後の守りにつく近鉄の選手の中には勝ちがなくなった以上守っても仕方ないと言った雰囲気もなくはなかったようで
あるが、その時に確か梨田選手がみんなを促して最後の守りのためにベンチから飛び出して行ったのだった。
テレビ画面では守備につく大石選手の姿が大きく映し出されていた。その瞬間全国の野球ファンの多くは涙したはずである。
なお、その悔しさを胸に翌年リーグ優勝を果たしたのだった。

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