日本の旧国名 州 その響きに魅了されるのは私だけだろうか?

旧国名

団塊の世代のみなさん、そうではないみなさん、こんにちは”アキラ”です。

昨晩は久しぶりに先生方との会食で、いつものようにお互いに好きな話を思いつくままに楽しく話は弾んだ。
私の好きな話はいくつかあるが、昨日は旧国名の話を始めていた。
もともと、長門の国を長州と呼ぶんだと知った時の、あの驚きと言うか感動は大変なものだった。とにかく、そう気づいたのはたぶん40歳になった頃のことであった。
逆に言えば、40歳になるまでの自分と言うのは、大企業を10年で退職し、憧れの営業で自分のチームを作るんだと気持ちだけは熱くなっていた時期である。
電話営業にしろ、飛び込み営業にしろ、それなりの成績は上げた。
それにしても給与はそんなでもなかった。

そんな時期を越えて内勤に移ってからだった。
少しは気持ちに余裕が出来たからだったと思う。

長州

私の好きな時代劇の一つに忠臣蔵がある。
毎年冬になると、その時期はやってくる、当然のように。
そこで、毎年のように私も聞いていたはず。
そう、播州赤穂、この響きは私の脳に刷り込まれている。
ただ、この播州が、すなわち播磨の国であったんだと気が着くには随分と時間がかかったのだ。
同じ忠臣蔵で必ず出て来る芸州広島、浅野ご本家、これも安芸の国だから芸州なんだよね。

昔、冗談でよく言われてた、秋の宮島ではなくて、安芸の宮島だからねって話。
今から考えれば、まさにその通りである。

 

長州藩

そうは言っても、それでも少しだけ疑問は残る。
薩長同盟と言う時、分解すれば、一方は薩摩藩であり、片方は長州藩である。
長門の国だから長州として、その分でいけば、薩摩は薩州(さしゅう)って呼べばいいはず。
その辺を、当時の人はどう使い分けたのかまではよくは分からない。
語呂だけの問題なのかも知れない。

美作(みまさか)の国を作州、そして作州浪人宮本武蔵
遠江(とおとうみ)の国を遠州、そして遠州森の石松
出雲の国を雲州、そして雲州算盤
石見の国を石州、そして石州瓦
これからも、こうやって一つひとつ言葉を捜しながら楽しんでみたい。

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