「備中国高松城:浮世おば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の・・」

日本の城

団塊の世代のみなさん、そうではない50代・60代・70代・80代以上の皆さん、こんにちは”アキラ”です。

たまにではあるが、私のことを歴史好きと言ってくれる人がいる。
新しく会った人には、御国はどこですか?親しくなった人には、家紋は?と。
そんな質問を受ける若い人はあまりいないようである。

それに御国は?と質問しても、キョトンとしてる人、日本なんて訳の分からない答えを返してくる人と色々である。
御国と言うのは、いわゆる出身地のことで、相手に敬意をはらって「御」をつけているだけのこと。
まさか律令時代の石見国とか出雲国と答えてもらおうと言う訳でもない。
私は定期的に転勤のある企業に最初入ったものだから、そのたびに、御国は?と聞かれたものである。
御国は?って聞かれたら、出身の県名を答えておけば正解である。
明治維新当時、長門国、周防国
明治維新当時、長門国、周防国を一緒にして山口県とした。
以下、石見国、出雲国ふたつで島根県、安芸国、備後国ふたつで広島県とした。
そして、新たに県を作るときには、その県の石高を勘定に入れて組み合わせたと言う。
維新政府に反抗する勢力とならないように考えてつもりらしい。

そして、もっと面白いのが、維新当時、新政府の味方であったか、そうでなかったか、一目で分かるように、ある区分けを行った。
それが、県庁所在地の地名である。
維新政府の味方には県名と同じ県庁所在地名を命名した。
山口県の県庁所在地は山口市、広島県には広島市、岡山県には岡山市、こんな感じである。
一方、島根県の県庁所在地は松江市。
愛知県の所在地は名古屋市、御三家の尾張国なら当然である。

ちょっと脱線してしまった。
歴史好きでなくとも、秀吉の中国攻め、備中国高松城の水攻め、その後の本能寺の変、秀吉の中国大返し、この一連の流れはご存知だと思う。
その中で、高松城主清水宗治の名をご記憶の方も多いと思う。
浮世おば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して
清水宗治の辞世の句である。
すごい時代だったと思うしかあるまい。
あの時代の人にとって、死とはどう言うものだったのか?

今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命に代はる 我が身と思えば
東播磨・三木城主別所長治の辞世の句と言う。

歴史好きの話題をまた採り上げたいと思う。

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