印象下落の五輪

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OHA!  ●システムエンジニア(30) 

オリンピックは参加する事に意義がある。
私がまだ若い頃にはそういう言葉をよく聞いたものだ。

今回、日本の五輪の結果はここまで予想を裏切る残念な結果しか出ておらず、銀と銅が1個づつ。
金メダルは0個という結果である。
正直、五輪開催前の日本の報道だけ見ていた私達にとっては、今回もいくつメダルが取れるのだろう?
と期待せずにはいられないものだった。
そういう意味で言えば、非常に期待はずれの結果である。

しかし私は前回の長野と違い今回は非常に厳しいと思っていたので、これまでの日本選手達の活躍は大健闘だと思っている。
印象なんて、見る方の見方によって大きく変わってしまう。
メダルを期待するのは、もちろん選手本人が一番強く思うであろうが、我々第3者が必要以上に期待している部分もあるのである。

スピード・スケートで清水が銀を取った時にも、当然実力から考えれば金を期待するのはわかるが、どこの報道を見ていても残念ながら銀・・・という報道ばかりであった。
参加するだけでは駄目なのである。
あくまでも金メダルを取らないと許されないのだ。
もちろん自分の国の選手を応援するのは良い事である。
しかしそれはやはりどうしても結果を求める事になる。
応援する=勝って欲しいというのは、当然の事であろう。
応援するのだから、参加するだけで・・・というのは難しいのだ。
この話しが我々一般市民の間で酒の肴になっている間はまだ良かった。
でもメダル獲得!という気持ちが強くなれば、やはりどうしてもこういう不正が発覚してしまうのだろう。
フィギュア・スケートのデュエットで演技に関係なく点数が決められていたのだ。
これにより一旦ロシア・ペアが優勝していたものを、不正を認めた委員会が銀のカナダ・ペアを繰り上げ金メダルとしたのだ。
西側諸国と東側諸国のこういう複雑な関係。
米ソの冷戦時代が終わった今でもまだやはり残っているのである。
これは先ほどの自国を勝利させる!
という強い気持ちがあるからである。
あの国には負けられない・・・こういう気持ちは避けられないのだろう。

スポーツにはどうしても試合を裁く審判が必要である。
開会式で選手宣誓というのがあるが、今大会で世界各国の選手達は正々堂々と戦っているのに対し、競技を裁く審判達は正々堂々とやっていなかったようである。
もちろん歴史的な過去の五輪でもこういう事はあっただろう。
しかしこれを大会中に認めてしまった事で、他の競技も全て不満があがるのは当然であろう。
スピード・スケート・ショート・トラックの韓国失格になった問題、ロシアが試合前にドーピングで失格とされた問題、この2つは特に大きな報道となり、両国共にアメリカ批判にまでなる加熱ぶりした問題となっている。
多分、こういう国際舞台で演技種目は当然の事ながら、審判を要する全てのスポーツがどう公平に裁けるのか、これは本当に大きな問題となってくる。
前回夏の柔道で篠原の問題が大きくあげられたり、どんなスポーツでもしっかり考えていかないと、絶対に同じ事を繰り返すしかないのである。
スポーツは筋書きの無いドラマであるから、見ている我々は感動を覚え、熱狂できる。あらかじめシナリオの書かれた五輪なんていらないのだ。
今回これだけ大きく取上げられた事をしっかり教訓として、どうすれば誰の目に見ても公平な裁定が下せるのか、全ての競技がしっかり考えてほしいものだ。
演技種目だけに目を向けても何も変わらないのだから。
そうする事で初めて参加する事に意義のある五輪が作れるはずである。