普通の感覚

《PR》

祐衣   ●主婦(50)

「普通なんじゃない」とか「それが普通でしょ」なんて会話がよく交わされる。
「普通っていったいなんだろう」とある日フト疑問が湧いた。
「私にとっての普通は、他人にとっては異常なのかな」なんてね。
主婦であり、母であり、妻であり、働く人でもある私のスケジュールは非常にタイトなものになる。
暇を見つけて、ここに投稿する事を楽しんでいたりする。
いや、暇を見つけている訳ではなく、他の事をほっぽり出していたりする。
For Example 例えば、掃除をしなかったり、買い物に行かなかったり、その時々に手を抜ける事は精一杯抜いている。専業主婦時代は掃除・洗濯・食事作り・子育てetc目いっぱい頑張っていた。
それが主婦の勤めだと信じていた。
母親もそういう人で、そんな姿を見ていた私の中には、普通の主婦像がしっかり出来上がっていた。
母は掃除の手を抜く事ができない。独身時代に部屋の中が散らかり放題BUT でも外出する時におしゃれをして出かけようものなら、「そうゆうのを、きたな洒落と言うのよ」といわれた。
家の中が汚くても平気で、おしゃれにうつつを抜かしている人のことだった。
「家の中も装いも美しいのが、本当に美しい事だ」と言いたかったのだ。母にとっての掃除はその人の心の有様を測る一つの基準であったのだろう。
一方、義母は掃除ができない。家の中は足の踏み場もないほど散らかっている。
清潔好きな母に育てられた私には、考えられない程に。趣味の多い人で、外出する機会も多く、掃除している暇はないのだろう。
「ほこりで死ぬ人はいない」と平気なもの。外出時は目いっぱいおしゃれをして行く。「いつもおしゃれねと誉められた」と屈託がない。
両極端のような二人の母親は、どちらも自分が普通だと思っているに違いない。
私にしてみればどちらも普通ではない。やりたい事も家事も両立したい私にとっての普通は、バランス良く手抜きをする事。
もちろんおしゃれ心も忘れずに。手抜きができない人には、私は異常に写るのだろうな。「こんな事書いているくらいなら、掃除の一つでもしろ」なんて声がどこかから飛んできそう。