事件

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事件

南部ニースのトラック突入テロが日本で起きたら・・・たぶん

:山根 フランスで傷ましいテロが起きた。お亡くなりになった方、ご親族にはお悔やみを申し上げます。この事件が起きた経緯、また、背後関係などはこれからわかるだろうが、もし、このような事件が日本で起きたら・・・。私が思うにメディアの伝えるニュース...
事件

中国の脅威と北朝鮮の脅威どちらが怖いか?

:山根 タイトルの通り、中国の脅威と北朝鮮の脅威、実際どちらが怖いのでしょうか?私が考えるにお互いの脅威ですが、中国も北朝鮮も、多少内容は違うが実行支配。許されない行為です。実際の内容を確認すると北朝鮮は、核を保有し、ミサイル実験を敢行。失...
事件

交通事故 被害者の最大の武器は知識です

交通事故で不幸にもムチ打ち被害者になったとします。次のような事実をどう考えますか?交通事故でムチ打ちになり、完治する前に保険会社に治療を打ち切られ、交通事故後遺症も認めてもらえず、すずめの涙で示談後に症状が悪化、働くことも出来ず、当然の如く...
コラム

オイルショック

かずき  ●会社員(55) あの頃のことを知っているのは、私の年以上の人たちである。日本からトイレットペーパーがなくなった、と思われた、そんな時代だった。みんなが必死になってトイレットペーパーを買いに走ったのであった。後で考えれば、ばかばか...
コラム

いい日旅立ち

宮元信蔵ディスカバージャパン、全国で一大民族大移動が起こった。国鉄を中心とした仕掛けの成果はかなりのものだったと思う。学生の私たちにとって移動の為の宿舎はいわゆるユースホステルだった。「行って来ます。」「ただいま。」それがユースホステルに宿...
コラム

休憩室

山田派  私の大学1・2年間は学園紛争の中で過ぎて行った。講義はまともに開かれないことがしばしばだった。そんな時、私はよく教養部の英語の教授室を訪ねた。今から考えてみても何故懇意にさせてもらったのかはっきりとはしないが、なかなか話があった。...
コラム

丸刈り(汗の似合う少年)

みっち  ●会社員(57) 私の通っていた高校は、私が入学した年に長髪が許された。私たちの先輩達が学校側から勝ち取ったものであった。当時としては先駆的なものだったように記憶している。そう言う意味では自由な空気に満ちていた学校だった。全校朝礼...
コラム

映画館で上映されていたパールハーバー

山根青眠映画館近くの横断歩道で、信号が赤になるのを待っていた時のことである。隣の女性二人連れの会話が耳に入ってきた。「あの真珠湾攻撃って、向うが仕掛けたものだって。」「それ、どう言うこと?」もう一人が尋ねる。「だから、あれは日本が攻めてくる...
コラム

テレビ時代前夜

宮元信蔵  ● 会社員(62)小学三年生の頃のことだった。まだ各家庭にテレビがある時代ではなくて、少なくとも私の家にはまだテレビがなくて、みたいテレビがある日は、食事を済ませると弟と二人で知り合いの居酒屋にいってテレビの前に座り込み、物珍し...
コラム

学園紛争

田中五郎 私が大学に合格した年、構内はバリケード封鎖されており、いつ講義が再開されるか分からない状態だった。確か8月か9月頃まで、入学式もないまま自宅待機が続いた。10月のある日、大学近くの公園に新入生が集められ学長の2・3分の挨拶があって...
コラム

シラケ世代も過去のもの

サラリーマン    ●(62) 昔、サラリーマンだった頃その時の上司である次長から「シラケる」ってどう言う意味だとまじめに聞かれたことがある。その時は、その感覚分かんないの?と、不思議に思ったものである。でも今や世の中はシラケは遠の昔にどこ...
コラム

大きな社会問題

千代丸最近は毎年のように、年も終わりの頃になると「今年も自殺者の数が3万人を越えました。」なんて言うありがたくもない数字が紙面等を賑わせている。単純に言えば、1日100人に近い人が自ら命を絶っていることになる。それも発生は都市部を中心にして...
コラム

備中高松攻め

山本信弘  ●会社員 (60)秀吉は信長の命を受けて、中国地方の攻略に赴く。あの本能寺の変が起きる前のことでした。備中高松城の水攻めが続いていた。そろそろ秀吉軍の勝利が見えて来てからのことだったのでしょう。秀吉はみずから信長の元を訪れ、信長...
コラム

三島由紀夫自決

山根清眠  ●会社社長衝撃的な事件だった。私はその時大学2年、三島由紀夫に憧れていた。「君たちは武士だろう」と叫ぶ三島由紀夫の声が思い出せる。私は心の中で叫んだ(そうだ、お前たちは武士だろう)と。国を思う気概は無くなっているのか、そう思った...
コラム

ウォーレン報告

佐々木 ●会社役員 (63) あの悲劇的な報道は、アメリカからのテレビ放送を楽しみに待っていた日本の家庭に突然飛び込んできた。私が中学生の頃のことであった。日曜日の朝のことだと記憶している。記念すべきアメリカからのテレビ放送が伝えてきたもの...
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